しぶちんはしぶちん

mixi で日記を書いていたのですが、廃れてきて書いていてもせんないので、ブログにすることにしました。綴り方の練習くらいのつもりかな。

済々黌高校大健闘!!なのですが・・・

 今年の高校野球も佳境に入ってきました。まあ、私にとっては済々黌(子供たちの母校なのよ)が負けた時点で終わっているのですが。実は、ここ数年、高校野球を見たことがありませんでした。実家が甲子園球場からたった800mなのに、高校野球も阪神タイガースも興味を失っていました。だって、サッカーの組織立った普及と強化の手際を見ていると、野球界の遅れはあまりのことだからです。それでも、済々黌甲子園出場ということで、初戦は球場に足を運び、2回戦はテレビで見ました。久しぶりに見て今までの感を深くしました。
◯ 高校野球で勝つための野球
 当然なのかもしれませんが、済々黌は高校野球で勝つための野球をしていました。でも、アスリートを育てるという観点から、それでいいのでしょうか。ずでにいろいろなところで言われているバントの多用。鳴門高校戦では、バントでアウトカウントを5つ6つ損しているのに、それを種に入った点はあんまりなかった。最終的には9安打もしていましたから、自由に打ったらもう少し安打が出たんじゃないのでしょうか。ランナーが塁に出たら必ず転がすバッティングを心がけると言うのも、エラーを期待している時点でなんか違うような気がします。
 高校野球が終着点というのは、日本の野球界ではたった12球団しかないプロに入るしか、野球を続けられない。と言うか、それ以外との格差が大きすぎるからでしょう。いわゆるアマとプロの反目が制度化されてしまった現状で指導者が本来も目標を見失ってしまっているわけ。
 もう一つ、地域の絆を高校野球が負っていることが、負けない野球に徹する一因だと思われます。本来はプロスポーツが担うべき役柄を高校生に負わせているのは、どう考えても間違っています。プロ野球の歴史を、東京の某球団が全国にファンを作るために、各地域の地元球団ができるのを閉め出した来た歴史と捉えることも可能です。
大阪桐蔭高校の選手はガタイが違う
 大阪桐蔭高校相手に済々黌は良くやったと思います。ただ、カミさんと私は、選手のガタイの違いを見ただけで、これはかなわんと話していました。大竹君の細さを少々痛々しく見てました。済々黌の指導者は筋トレや栄養管理にどれだけ力を割いているのでしょうか。実は、うちの息子が入学した時に野球部に入ってすぐにケツを割ったのでありました。それは、無駄なグラウンド整備、ボール磨き、先輩の用具磨き、など、私から見ても、不合理な習慣が多くて、こりゃダメだとやめたのでした。1年生はそんなことに時間や体力を取られていて野球の練習やからだ作りができないのですから、野球がうまくなるはずがありません。あれから8年程立ちます。今年は甲子園に出られたのだから、改善しているかもしれませんが、ガタイの違いを見ていると、本質的な改善はないのではないかと懸念しています。これが、済々黌だけの特殊事情かと言うと、一部の強豪校を除いては同じような状況ではないのでしょうか。テレビの解説者(これも不思議なことにプロ野球経験者は出ない)がこのような野球を褒めているのを見ても、高校野球界全体の問題点であると思えます。
 と言うわけで、その後はJリーグを見たりヤングナデシコの試合を見たりしてます。でも、今年はガンバもセレッソロアッソも弱くて全然リキが入らん。