しぶちんはしぶちん

mixi で日記を書いていたのですが、廃れてきて書いていてもせんないので、ブログにすることにしました。綴り方の練習くらいのつもりかな。

『ファインマンさんの流儀』読了

ファインマンの伝記は何冊目だろうか。自伝、サイクスの伝記、グリックの伝記。Yet another と思ったが、本書は伝記でもファインマンの研究に焦点を当てていて、今までのものとはかなり違っている。数式展開はしていないものの、難易度はかなり高いだろうなあ。大学で物理を専攻していないと読むのは難しいかもしれない。まあ、数式が出て来ていたら、私でも投げ出してました。プライベートな記述は最小限におさえてあるんだけど、見事に人物像が浮かんでいます。やっぱり、物理屋の伝記だとこれくらいは物理の話が出てこないと人物像が浮かんでこないんよね。

それで浮かんでくるファインマンは、あくまで好奇心と探究心にあふれる人物。分からないことがあると、分かるまでか、なぜ現状では分からないかが分かるかまでにならないと気持ちが悪い、しかも、数式とかシミュレーションなんてのでなくて、平易な(もちろん、物理屋の間の言葉で)説明でないと、分かったとは感じない、という性格。アイデアがあふれるのだけど、真面目に論文にはしない。論文を書くことにはあまり価値を感じられない人だったのでしょう。誰かが論文を書いてくれて、自分のアイデアが正しいことが分かればそれでもいい。いろいろな分野に手を出して、極めて的確な道を示しているけど、その分野をまとめているのは他の人という例が多いとか。

何となく、自分の感覚と似ているのに気がつきました。私もアイデアなんて誰かれ話して、その行く末され見られれば誰かにまとめてもらって十分だと感じます。家から大学まで歩くのに毎日できるだけ違う道を通ろうとしていたそうですが、私も夕食のレストランはできるだけ違う店に行きたい方。教科書に書いてある式も天下りに使うのでは我慢できなくて一から導こうとするとか、ちょっとしたプログラムも人の書いたものでは満足できなくて自分で書こうとするとかね。まあ、ファインマン大先生みたいな才能はないんですけどね。一番違うのは数学の展開力なんでしょうねぇ。もう少し数学ができたらなぁ。そう言えば、ファインマンはプリンキピアの楕円惑星軌道の導出が分からなくてイライラしたという話が『ファインマンさん力学を語る』に出てました。私もある講義でそれをやろうとして困った覚えがあります。まあ、私は結局あきらめたのに、ファインマンは別解を作ったわけで、この辺が違いなんだよなぁ。

さて、ここまで来たら、そろそろファインマン物理学を読みたくなってきた。これは大変そうだし、ちょっと踏ん切りがつきません。